宿り木キャラクター日記 ~朝川さん家3~

黒猫ミケは見た!






新学期のこと。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■4月某日 晴れ。



 女ご主人様は朝からそわそわしている。

今日は始業式とかいう儀式があるらしい。

紙の切れ端に妙な模様を赤いペンで描いて、

それを小さな皮の入れ物に入れていたけれど、

あれは何にかのおまじないだろうか。

いつまで経ってもご飯を用意してくれないので、

しかたなく足元にすり寄り催促しにいったら、

女ご主人様の呟きが聞こえた。

「どうか今年も浩二と同じクラスになれますように」

 クラスってなんだろう?

浩二が男ご主人様のことなのはわかるけれど。

あの人とはいつでもぴったりくっついているのに。

何を悩んでいるのかまったく意味がわからない。

もうそんなことはどうでもいいから、早く朝ご飯に

ありつきたい。






女ご主人様の日常。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■4月某日 晴れ。


 女ご主人様の朝は早い。

学校とかいう群れの中に入っているらしい彼女は、

出発の2時間前から準備に余念がない。

そのせいで、僕のご飯を忘れてしまいそうに

なることもしばしばだ。

今日も制服という黒い布切れを身につけて

(あんなの動きにくくてしかたないだろうに)、

長いこと頭の毛を念入りに毛づくろいしていた。

食事が無事終わって一段落しても、

また鏡の中の自分とにらめっこをしている。

きっと女ご主人様も鏡に映っているのが自分だという、

事実を知らないのだろう。

僕も経験があるので気持ちはよくわかるが、

意味のないことなのでやめた方がいいと思う。

教えようか迷っていたらけたたましい音がして、

女ご主人様の頬が蒸気した。

男ご主人様の登場だ。

慌てて玄関へ行く女ご主人様。

扉の境につまづいて派手に転ぶのもいつものことで。

年中恋の季節らしい人間ってつくづく大変だなと思う。






男ご主人様の夢。

■■■■■■■■■■■■■■4月某日 曇りのち晴れ。


 車のボンネットで昼寝をしていたら男ご主人様が

やってきて、僕の体を撫で回し始めた。

僕は眠かったからちょっと迷惑だったのだけれど、

また女ご主人様と何かあったんだろうなと思い、

されるがままにしてあげた。

まあ、この後くれるネコ缶がおいしいから、

というのが本音なんだけど。

とにかく、そのまま男ご主人様につきあっていたら、

男ご主人様がぼそりと呟いた。

「なあ、ミケ。どうしたらお前と同じように

美加子にいっぱい触れるかなあ」

 相好の崩れきった面に全身の毛が逆立った。

恋に悩みは付き物かもしれないけれど、

僕を使ってあれこれ想像するのはよしてほしい。






塾通い。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■4月某日 小雨。


 女ご主人様と男ご主人様が塾とかいう

新しい群れに入るらしい。

近所の猫仲間に聞いたところによると、

人間が知恵を磨くところなんだとか。

「人間は俺たちみたいに身体が優れていないから、

定期的に頭の体操をしないと生きる術を得られないのさ」

 吉田家に住んでるトラさんが言っていたけど、

よくわからなかった。

でも確かに、昨日から紙を前にうんうん唸っている

2人のご主人様を見ていると、色々と大変なんだろうな、

とは思った。






魅惑のゴールデンウィーク。

■■■■■■■■■■■■■■■4月末日 雨時々曇り。


 女ご主人様と男ご主人様が何だか浮かれている。

部屋のテーブルにたくさんの本を広げて、

2人できゃっきゃと午後からうるさい。

あんまり休めなさそうなので出て行こうとしたら、

無理やり体を抱えられてしまった。

しかたなく男ご主人様の膝で丸まっていたら、

会話が嫌でも耳に入ってくる。

「で、結局どこに行く?」

 男ご主人様が尋ねると、

女ご主人様はしばらく黙った後、口を開いた。

「別にどこでもいいよ」

「どこでもって、お前なあ」

 呆れ声の男ご主人様を前に、

女ご主人様は、だって、とそっぽを向いて顔を赤らめる。

「本当にどこでもいいんだもん。一緒にいられれば」

 美加子、と呟き、

すり寄り始める2人の間は窮屈なことこの上ない。

仲がいいのはいいことだけど、

僕の存在を忘れないでほしいと思う今日このごろ。






計画延期も幸せ気分。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■5月某日 快晴。


 今日はどうやらゴールデンウィークという名の

お祭りらしい。なのに、女ご主人様と男ご主人様は

玄関先で渋い顔をしている。

「こんな時まで講習だなんてついてないよなあ」

「しかたないわよ。私たち受験生なんだもん」

 靴を履きながら女ご主人様が宥める。

「せっかく色々計画したのにな」

 口惜しそうに呟く男ご主人様をよそに、

女ご主人様は何だか楽しそうだ。

「まあ、いいじゃない。

一日一緒にいられることには変わりないんだから」

 女ご主人様は微笑み、

はい、と水色の包みを男ご主人様へ手渡す。

「寝不足をおして頑張ってみました」

 どうやらあの中身は男ご主人様の餌らしい。

受けとった男ご主人様の顔の面白いこと面白いこと。

緩みきった顔を必死で引き締め、

赤くなる顔を見られないよう俯き、

視線ん忙しなくさ迷わせる。

頬を掻きながら、ありがとな、と小さく礼を言ったは

いいが、これ以上ないほど幸せそうな

女ご主人様の微笑み攻撃に狼狽える様は、

見ていてなかなか滑稽だった。






喧嘩。

■■■■■■■■■■■■■■■5月半ば 曇りのち雨。


   夜、帰ってくるなり女ご主人様がベッドに

突っ伏した。何事かと思い近づいてみたら、

がばっと起き上がって腕に抱え込まれてしまい。

どうにもしようがないので、おとなしくしていたのだが。

しばらくして耳の辺りに冷たいものが落ちてきた。

 女ご主人様は泣いていた。

彼女の涙を見るのは久しぶりのことで。

僕は急に切なくなって、女ご主人様の頬を舐めた。

女ご主人様は、ありがとう、

と悲しげに微笑み、俯いて小さく呟く。

「浩二の馬鹿」

 原因はやはり男ご主人様か。

だとしたら、

彼女が元気になるにはまだまだ時間がかかりそうである。






只今冷戦中。

■■■■■■■■■■■■■5月某日 晴れ時々曇り。


 女ご主人様が一人で学校から帰ってきて、

菅野とかいう友人宅の群へ夜通し遊びに行く

と行って出かけていった。

僕はお腹がいっぱいで暇なので玄関前で

昼寝をしていたら、男ご主人様がやってきた。

「お前のご主人様はどこだ?」

 何を言っているんだ、この人は。

僕は言っている意味が解らず首を傾げる。

だって、僕のご主人様は目の前にいる。

まあ、正確には二匹のうちの一匹ではあるけれど。

「お前に言っても分かるわけないけど、

俺アイツを怒らせちまったんだ。

いや、約束を忘れていたわけじゃないんだぜ?

ただ、ちょっと隆の彼女に奴のところまで

案内してたから、遅れちまっただけでさ」

 何だかよくわからないが、

原因は男ご主人様が思っているのとは少し違う気がする。

前に斜め向かいのメルさんが、

『メスの嫉妬は厄介なのよ。人間もあたしたちも、ね』

と言っていたのもあるし。今回もきっとそれだよ、と

一応鳴いて教えてあげたけど、

やっぱり何も伝わっていないようだった。






仲直り。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■5月半ば 小雨。


 3日ぶりに男ご主人様と一緒に帰ってきた

女ご主人様は、すこぶる機嫌がいいらしく、

僕におもちゃを買ってきてくれた。

 それはとてもいい匂いのする猫じゃらしで。

僕が夢中になって、

先っちょについたピンクの綿毛を追い続けていると、

男ご主人様が吹き出した。

「何よ?」

 女ご主人様が振り返って男ご主人様に問うと、

男ご主人様は、いや、とかぶりを振る。

「本当にごめんな。次は気をつけるから」

 真剣な眼差しで女ご主人様を見つめる男ご主人様を

前に、女ご主人様が、うん、と深く頷いた。

「私もごめん。……信じてるから。今よりもっと、

信じるようにするから」

 時が止まったかのように見つめ合う二匹を横目に、

僕は大きく伸びをして平和を満喫した。






あじさいの咲く頃に。

■■■■■■■■■■■■■■■■6月某日 雨また雨。


 人間の暦によると、6月というらしいが。

ともかく、ここのところ雨続きである。

庭のあじさいが雨粒の中で一際光って見えるけれど、

それだけと言えばそれだけのことで。

「寒い、寒い」

 腕を半分以上出した薄地の衣を

好んで身につけているくせに

不平を言う女ご主人様を、僕はぼんやりと見つめた。

僕らみたいに暖をとる体毛が発達していない人間は、

つくづく可哀想な生き物だな、と思った。






いつもの日曜日。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■6月某日 晴れ。


   女ご主人様が本とかいうものを買いに

でかけていった。ここぞとばかりにお気に入りの場所で

眠っていたら、吉田さん家のトラさんがやってきた。

「おい、さっきオスのご主人を見かけたんだが。

あの人は今発情期みたいだな。

メスのご主人の後を必死で追いかけて行ったから。

近々ガキが産まれるかもしれないぞ」

 人間のガキをお守りするのは大変だぞ、

と真剣な顔で告げてくるトラさんには悪いが、

それはないなと思った。

だって、男ご主人様が女ご主人様を追いかけているのは、

いつものことだから。

たまにまったく逆の立場なこともあるし、

それで子供ができた試しは今のところない。

博識のトラさんでもわからないことがあるんだなあ、と

思いつつ。僕は彼にもわからないほど複雑な、人間という

生き物の神秘性について、少しだけ思いを馳せた。






待ち人の幸福。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■6月某日 雨。


 外は雨。

女ご主人様が人待ち顔でカーテンごしに外を眺めていた。

僕はつまらないので昼寝をしばし決め込み、

その後女ご主人様の母親へおやつをねだりに行った。

もらった煮干しがまずまずの味だったから

満足して戻ってみると、そこには、先ほどと少しも

変わらない態勢で外を見つめている

女ご主人様の姿があった。

待っているのはおそらく男ご主人様のことで。

人を待つ気持ちはまったく理解できないけれど、

やたら幸せそうな女ご主人様を見ていて、

ふと思いついた。もしかしたら「待つ」という行為は

獲物を捕まえる前の興奮と似ているのかもしれないって。

それなら少しは理解できる気がするから、お楽しみを

邪魔しないように昼寝の場所を移動することにした。






おやつの時間。

■■■■■■■■■■■■■■7月某日 曇りのち晴れ。


 甘い香りに誘われて部屋へ行ってみると、台所で

女ご主人様が甘い小麦粉をのばしたものを型で抜き、

板のように固く焼いていた。

話の端々から推測するに、

それはクッキーとかいうお菓子らしい。

ちょっと興味があったのだけれど、

ミケにはだめよ、と言われてもらうことができなかった。

 まあ、代わりに鰹節をもらったから構わないけど。

これでも結構、

巷でも有名な味のわかる猫で通っているだけに、

少しだけショックだった。






お昼寝時には。

■■■■■■■■■■■■■■■■7月某日 一日晴れ。


 僕のお気に入りの場所は、

車のボンネットと庭にある物置き横の日向だ。

そこでうとうとして平和を満喫しているだけで、僕の心は

もう3分の2くらいは幸福な気分に包まれてしまう。

じゃあ、残りの3分の1はと訊かれたら、

それはやっぱり食事なのだけど。

ともあれ、今日も僕は昼寝に勤しむ。

だからお願いだ。

男ご主人様、僕を見つけにこないでね。






家族。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■7月某日 嵐。


 僕は家族という群のことがよくわからない。

気がついたら一匹だったし、

ようやく外の世界で生きる自信がついてきたところで、

ご主人様たちに捕まってしまったからだ。

 まあ、不覚にも、

女ご主人様が乗っていた自転車とかいう鉄の乗り物の前へ

僕が飛び出してしまったのがすべての原因なのだけれど。

 とにかく、僕は家族というものを知らない。

知らないけれど、それが暖かなものだということは、

何となくわかる。

だって、女ご主人様とその父母の三匹が寛ぐ中で

彼女の膝に乗りつつ微睡む時は、

僕にとってもご主人様たちにとっても

幸せなひとときだと思えるから。






夏が来た!

■■■■■■■■■■■■■■■■■■7月某日 晴れ。


 暑い。

僕にとってはありとあらゆる意味で面倒臭い夏が

やってきた。それなのに、男ご主人様は今日もすこぶる

機嫌がいいらしい。

暑いのが好きだなんて人間って変わっているな、と思って

いたら、どうやらそんな単純なことではないらしい。

「なあ、ミケ。今日はどんな服で出てくると思う?

俺としてはあんまり隠してるのももったいない気がする

けど、露出しすぎてるのもやっぱり心配なんだよなあ」

 女ご主人様がどれだけ薄くて面積の狭い布を

巻きつけるかが、今の彼の関心事らしい。

複雑そうな声音とは対象的なにやけ顔から想像するに、

人間にとっては夏も恋の季節ということなのだろう。






夏期講習。

■■■■■■■■■■■■■■■■7月下旬 一日晴れ。


 ここのところ、ご主人様たちの朝がいつも以上に早い。

どうやら塾という群の方で何やら毎日集会があるらしい。

よくわからないが大変そうなので、

トラさんに尋ねてみたら重々しい口調でこう告げられた。

「お前のご主人様たちは『受験生』になったからさ」

『受験生』って何だろう。女ご主人様たちもたまに

そんな単語を口にしていたのだけれど、

それってそんなにすごいことなのだろうか。

不思議に思って再度尋ねたら、トラさんは頷き、

「若い人間が一番荒れる時期ってことさ」

 お前も気をつけろよ、と重々言って去っていったが、

結局くわしいことはわからずじまいだった。






ビデオ鑑賞。

■■■■■■■■■■■■■■8月某日 青々とした空。


 男ご主人様が家に泊まりにやってきた。

女ご主人様の父母と一緒に食事をして、

その後部屋を暗くしてテレビという薄くて四角い板を、

みんなで注視しし続けていた。

僕は始終変な音や大きな音がするし、

変な格好の人間たちが現れては消えていくので、

少しも楽しくなかったのだけれど。

女ご主人様の膝の上にいたので、

逃げずに丸まって我慢していた。

やっと音が止んで電気がついたのは

ずいぶん経ってからのことで。

ここぞとばかりに伸びをしていたら、

男ご主人様のひどく寂しげな表情と視線がぶつかった。

そういえば、隣の男ご主人様の視線が、

テレビより女ご主人様の方へいっていた気がする。

 何でだろう。

明日トラさんにでも訊いてみようか。






宿題の嵐。

■■■■■■■■■■■■■8月某日 晴れ、一時雷雨。


 女ご主人様と男ご主人様が、

宿題という何か大変なものに襲われているらしい。

朝からずっと紙の山に埋れながら苦しげに

呻いているから、かなり心配だ。

今まで見たことがないほど目が血走っているし、

頭の毛もいつもよりツヤがない。

紙が元凶なのは明らかだったので、

何枚か退治してやったのだけど、

却って怒られてしまった。

まったく守りがいのないご主人様たちである。






怪談話と懲りない挑戦。

■■■■■■■■■■■■■■■8月某日 綺麗な夜空。


 夜。

男ご主人様がほくほく顏で女ご主人様の家にやってきた。

玄関先で立ち話をしていたのだけれど、

途中で声が小さくなったので気になって近づいてみると、

男ご主人様がいきなりものすごい声で叫んだ。

「お前だ!」

 いきなりのことで固まっていると、

横で女ご主人様が大爆笑しだした。

「なあに? それがどうしても話したかったこと?」

 男ご主人様は笑いすぎて涙まじりになっている

女ご主人様に、

「笑えるだろ?」

 と自身も笑っていたけれど。

その目がかなり寂しげだったのを僕は見逃さなかった。






遊園地での顛末。

■■■■■■■■■■■■■■8月某日 ぴーかん天気。


「聞いてよ、ミケ!」

 休日の夕方。

遊園地とかいう安息地から帰ってきた女ご主人様が、

眠っていた僕へいきなり駆け寄ってきた。また何か

あったのだろうか、と嫌々ながら顔を上げると、目の

前に妙にのっぺりとした顔の見知らぬ輩が鎮座していた。

 僕の縄張りに寄り付こうとは!

不届きな奴だと思い即座に威嚇を試みると、

女ご主人様がおかしそうに僕の頭を撫でてきた。

「かわいいでしょう? 浩二が買ってくれたのよ?

ぬいぐるみだけど仲良くしてね」

 ぬいぐるみって何者だろう。

 僕はやたらふわふわして平坦な顔をした、

もの言わぬそいつに軽く爪を立てる。

「こら! おもちゃじゃないのよ?」

 一喝した後、愛おしそうにぬいぐるみとかいう新参者を

撫でる女ご主人様。

僕は酷く面白くない気分だったので、

さっさと部屋を出てやった。






映画館ではお静かに。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■8月某日 雨。


 夕方、男ご主人様と女ご主人様が部屋へ

入ってくるなり口論を始めた。

「まったく、信じらんない!

映画館のマナーってものを知らないの?」

 ぷりぷりと怒った様子の女ご主人様を前に、

男ご主人様が鼻をかく。

「しかたないだろ? 怖かったんだから」

 決まり悪げにぼそりと呟く男ご主人様へ、

女ご主人様が吠えた。

「だからって、

いきなり大声あげて抱きつくことないでしょう!」

 めちゃくちゃ怒られちゃったじゃない、

と頬を膨らませてそっぽを向く女ご主人様に、

男ご主人様が手を合わせる。

「ごめん」

 必死で謝る男ご主人様を見て、

女ご主人様は諦めのため息をついていたけど、

その口の端が小さく緩んでいるように感じたのは

気のせいではないと思う。






新学期の前の日に。

               ■■■■■■■■■■■■■■8月末日 晴れのち曇り。


 朝から男ご主人様が僕らの部屋へやってきて、

女ご主人様と一緒に分厚い本の山の前で

うんうん唸っている。

こういう光景を今年はもう何度見ただろう。

確か勉強とか、宿題とか言う行為だったっけ。

トラさんの言うとおり、

人間って悲しい生き物だとつくづくだな、

と感じてしまう一日だった。






虫の声と新学期。

■■■■■■■■■■■■■■■■9月始め 晴ればれ。


 今日から新学期という暦に入るらしいが、

僕の周りは相変わらずだ。

変わったことと言えば、

夜鳴く虫の音が少々増えてきたくらいだろうか。

そういえば、

女ご主人様と男ご主人様は眠たい目をこすりながらも、

何故か晴れ晴れとした顔をしていたっけ。

とにもかくにも、平和な一日である。






お悩み相談会。

■■■■■■■■■■■■■■9月某日 晴れ一時曇り。


 女ご主人様が美樹とかいう若い女を連れてきた。

今日は彼女が僕らの群れへ身を寄せるらしい。

いったい何があったのか知らないが、

あまりよその群れを行き来するのは感心しない。

 男ご主人様だって、

いずれ僕らの群れに入るから許されているのだから。

 けれど、涙ながらにあれこれ女ご主人様に語る姿は

痛々しくもあり。

しかたなく僕は隅の寝床で丸くなることにした。

女ご主人様は一晩中話を聞いていたみたいだったけど、

それに付き合う義理はない。

話を聞いてもらったらしい美樹は翌日

すっきりした表情で帰っていき、僕にも平穏が戻った。





男ご主人の呟き。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■9月某日 突風。


 午後、男ご主人様が飲み物を取りにいった

女ご主人様を、待ちながら僕の体を抱き込んできた。

「なあ、ミケ。お前はいいなあ。

いつも美加子にぎゅっとしてもらえて」

 俺としてはむしろしたい方なんだけどさ、

と夢見るように語る男ご主人様には、飽きれるほかない。

彼の頭にはきっと花畑が広がっているのだろうな。






夢と希望の狭間で。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■9月某日 小雨。


「美加子、俺さ。アメリカの大学行くわ」

 男ご主人様が分厚い本を読みながら、

何気なく宣言した。

「え?」

 女ご主人様は広げていたノートから顔をあげて、

表情をこわばらせる。

「何で?」

 震える声で尋ねる女ご主人様に、

男ご主人様は真剣な表情で即答した。

「やりたいことがあるから」

 ごめんな、と目を伏せる男ご主人様を前に、

女ご主人様は結局、沈黙したままだった。








幸せの形。

■■■■■■■■■■■■■■■■■10月末日 晴れ。


 男ご主人様の言葉を聞いて以来、女ご主人様の

表情が暗い。第一あれ以来、男ご主人様が迎えに

くることがなくなった。

女ご主人様は一人机で本を広げては、

何もない虚空を仰いでいる。

 僕にはよくわからないが。

勉強とやらが手につかないのは、あまりよくないのでは

ないだろうか。悪いとは思うけれど、

男ご主人様のことを少し恨めしく思う今日この頃。






願いごと。

■■■■■■■■■■■■■■■■■11月某日 快晴。


「ねえ、ミケ。今日は流れ星が見られるんだって!

窓から一緒に見ようね」

 女ご主人様が僕を抱え、窓を開ける。

寒がりの僕としては正直遠慮したいところだったけれど。

女ご主人様の笑顔を見るのは本当に久しぶりだったから、

しかたなく腕の中にいることにした。

しばらくして、夜空に一筋の光が走る。

「どうか浩二の夢が叶いますように。

それから、できれば私の夢も……」

 偶然耳に入ってしまった女ご主人様の呟きは、

切なさに溢れていて。

僕は彼女の手に顔を寄せて、鳴くことしかできなかった。






焼き芋と恋心。

■■■■■■■■■■■■■■■■■11月末日 晴天。


 夕暮れ時。男ご主人様が焼き芋を持って

女ご主人様の元へやってきた。

「ちゃんと話したくてさ」

 焼き芋を差しだしながら告げる男ご主人様に、

女ご主人様が明後日の方角を見る。

「話って言ってもどうせ決心は変わらないんでしょう?」

 女ご主人様の言葉に男ご主人様は短くああ、と答えた。

「何年? 4年くらい? それとも6年?」

「一応、4年」

「ふうん」

 そのまま降りる沈黙を男ご主人様が破る。

「休みには必ず帰るし、それに頑張れば早く

卒業することも可能なんだ。だから!」

 男ご主人様が言葉を詰まらせると、

女ご主人様が長いため息をつき男ご主人様を見つめた。

「わかった」

「え」

「待ってるから」

 女ご主人様はふわりとした微笑みを浮かべると、

差しだされたままの焼き芋を手にとる。

「ありがとう、美加子」

 噛みしめるように紡がれた男ご主人様の言葉に、

女ご主人様がくしゃりと顔を歪めた。

泣き笑いの表情を浮かべながら、焼き芋をかじる。

熱いね、と微笑み合いながら焼き芋を頬張る2人の姿を

見て、僕は何だか酷く幸せな気持ちになった。






冬のはじまり。

■■■■■■■■■■■■■■■■■12月某日 快晴。


 男ご主人様と女ご主人様が、

僕を連れて葉の落ち切った銀杏並木へやってきた。

 ここは僕らの出会いの場所。すべての始まりの場所だ。

季節は12月だからひと月違うのだけれど、

それでも思い出の詰まったこの小道を僕らは歩いた。

いや、正確にはご主人様たちが歩いて、

僕は自転車の籠に乗せられていたのだけれど。

とにかく重要なのは、僕らが今年も一緒にいるってこと

だ。そしてきっと、来年もこの道を同じように

歩くことになるだろう。

 その時、僕はどうしているかな。

僕ももういい歳だから、

来年の今頃は新しい家族が増えているかもしれない。

そうだといいと密かに願いながら、

僕は楽しげに歩く2人のご主人様たちを見あげ続けた。









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