≪ 第一章 乳白の空間 2 ≫
葉子のような警戒心の強い人間は、自分が納得しないと動こうとしないのだ。
それならば、相手が疑問に思うことを話せる範囲で説明してしまえばいい。
「天上地へ」
差し出した手を胸元へ引き戻し、神は何食わぬ顔で彼女に笑顔を向ける。
「天上地」
葉子が、オウム返しのようにこちらの言葉を繰り返す。明らかに彼女は言葉の意味を理解していない。
神はそれをわかっていながら、そのまま話を続けた。
「はい。
わたくしども邪魂撲滅(じゃこんぼくめつ)委員会は、迷える魂の皆様を天上地へとお運びする役目を担っております」
「魂? 役目?」
葉子が首を傾(かし)げてこちらの言葉を繰り返す。
死んだあとの世界など彼女のような地上人が知りようもないのだから、それも仕方のないことだろう。
「はい。
先ほど地上地で生をまっとうしたアナタの魂を、天上地へとお運びするのがわたくしどもの役目なのです」
「生をまっとう?」
「えぇ。簡単に言ってしまえば、アナタは本日午前八時四十三分に亡くなったのです」
「死んだ?」
先刻からこちらの言葉を繰り返してばかりの彼女をよそに、神はよどみなく言葉を発した。
「はい。
ご存じかと思われますが、この世界には地上地、天間地(てんかんち)、天上地の三つの世界があります。
魂が自らの器を離れたとき、すなわち死を迎えたとき。地上人であるアナタ方は最後の審判を受けるために天上地へと向かう。
つまり、それが今のアナタです。芹沢葉子さん」
「本当に?」
これ以上の説明は不要だろう。のんびりしていたら、煙の効力が切れてしまう。
神は、葉子に新たな質問をさせないためにも言葉を被せた。
「ええ、信じられないのも無理はありません。なにせ、アナタの死は突然でしたから。
それとも、地上地に何か悔いがおありですか?」
やっと最後の決まり文句までたどり着いた。あとは彼女が首を横に振れば、仕事はほぼ終わったと言っていい。
だがこちらの予想に反して葉子は小さく呟いた。
「悔い?」
何かを思い出そうしているのか、おもむろに顔をあげ視線を彷徨わせる。しかし、何も思い出せなかったのだろう。
すぐさま視線をこちらへと戻し首を左右に振った。
「いえ、何も。何もありません」
憂(うれ)いを帯びた顔で話す葉子の姿は、明らかに何かあると言っているようなものだった。
煙の効果はあったはずだ。それなのに、“悔い”という単語を聴いた瞬間、彼女の瞳が正気に戻ったように見えた。
注意深く葉子を観察するが、何も話そうとはしない。なんとなく釈然としない気分だが、時間もないことだ。
神はとりあえず自分の気のせいだと思うことにした。
「では、そろそろ参りましょう。大丈夫ですよ。最後の審判と言っても決して怖いものではありません。
魂の穢(けが)れ具合を計るのです」
「穢れ」
怯(おび)えるような眼差しを向けてくる葉子を安心させるために、笑顔でうなずく。しかし、内心は驚きでいっぱいだった。