晩春の夜風に薫る記憶は 1
キイロイトリさんによる写真ACからの写真

≪ 第一章 五月の風に誘われて 1 ≫






 この町に吹く風は、一段と緑の薫りがする。

 白野真人(しらのまさと)は人気のないホームで、大きく手を広げ深呼吸した。

 季節は五月も下旬。リュックを片手に旅へ出て、もうずいぶんになる。

ゴールデンウィークもとうに過ぎ去った今頃になって旅をしているのには、

深い事情があるわけではない。

ただ、連休中もバイトに勤しみ貯まった現金三十万を目の前にして、

やりたいことは一つしかなかった。

 真人はアパートを出たままの足でコンビニと喫茶店に寄り、半日かけて休学届を書いた。

必要な書類も揃え大学の事務へ提出した後、目的も決めずに電車へ乗り込んだのだ。

走り出した電車の窓辺から外を眺めた真人は、

巷で聞くような解放感を感じない自分に、少しばかり落胆した。


「なんにもない奴って、どこまで行っても何もないままなのかなあ」


 ひとりごちてしまったのは、友人の吉村(よしむら)から言われた一言を思い出したからである。


『お前って本当に欲がないよな』


 からかって言われたのではなく、自然に口をついて出た感想、といった態だった。


『欲がないのはいいけど、それじゃ何も変わんなくて、人生つまんなくないの?』


 恋人や友人との交流に加え勉学も全力投球している吉村にとっては、

自分の生活スタイルがよほど不可解だったのだろう。

気にする必要はない、と思っていた。

だが、よく考えてみればあれ以来、ずっと胸の奥に棘が刺さったかのような気がしている。

自分だって熱くなる何かを見つけたい。

夢中になってがむしゃらに生き、何かを変えてみたい。

 両親には申し訳ないことをしたと思っている。

だが、どうしても、しばらくゆっくり自分と向き合う時間を持ちたかった。

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オープニング背景画像:ぺるみけさんによる写真ACからの写真