晩春の夜風に薫る記憶は 2
キイロイトリさんによる写真ACからの写真

≪ 第一章 五月の風に誘われて 2 ≫



「甘えてるよなあ……」


 ぼやいてホームの向かい側へ見上げる。

 そうだ。やるならとことん。

どうせ旅をするのならできるだけ遠くへ行ってみよう。

などと列車を乗り継ぎ、思いつきで降り立ったのがこの小さな町である。

裏寂れた駅のホームで目にしたのは、小さな山だった。

なだらかな山々の中で一際ぽつりと、けれど悠然と大地に聳え立っている。


(行ってみようかな)


 なぜだかどうしても、真人はその山へ登ってみたくなった。

駅のホームに佇み山を眺めていると、ふいに横合いから声がかかる。


「お前さん、どこから来なすったね」


 振り向いたその先に、
自分より半分ほどの背丈しかない老人を見つけ、真人は軽く目を見開いた。

真っ白な長い髪と、同じく白い、けれどとても美髯(びぜん)とは言いがたい髭で覆われた面相である。

瞳さえもそれとわかる微かな光を覗かせるのみで、判然としない。

麻袋を無理やり着込んだかのような服装をし、
そこから突き出た骨と皮だけの腕には七色の腕輪が光っていた。


「東京からです」


 少し迷った後、真人は答えた。

 正直、あまり関わり合いたいと思える相手ではなかった。

だが、何も答えないのも決まりが悪い。


「どこまで行きなさる」
「あ……いや、特には決めてないんですけど」


 無目的な旅、という状況が少々気恥ずかしく思えて、真人は頬を掻く。


「ほうほう」


 老人は長い髭を上から下へとゆっくり撫で下ろしながら、気のない口調で先を促す。


「とりあえず、あの山へ行ってみたいんです」


 真人が応えると、老人は髭を撫でる手を止めた。


「ほほう?」


 何に興味を持ったのか、しきりに顔を覗き込んでくる。


「どうやらお前さん、五月の風に気に入られたらしいのう」
「はあ?」


 唐突で意味不明な老人の言葉に、真人は思いきり顔をしかめてみせた。

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オープニング背景画像:ぺるみけさんによる写真ACからの写真