≪ 第一章 紅い花 3 ≫
二
とにかく早く彼に話そう。
栞は雇い主であり家業の先輩でもある佐伯裕紀(さえきゆうき)が営むフラワーショップ「フェアリー」へと急ぐ。
さっきまでの浮遊感が嘘のように足が動くのは、やはり恐怖心からだろうか。
(さっきみたいなのにはもう慣れっこなつもりだったのに)
家業はほとんど幽霊絡みと言ってもいい厄介事請負業なのだから、
たかだか花を食べる女の幽霊に怯えるのはおかしい気がする。
これだから裕紀にも祖母の形見である生き人形の菊野にも半人前扱いされ続けてしまうのだろう。
溜め息とともに肩からずれてしまったトートバッグをかけ直していると、前方から聞き慣れた声がした。
「この花は貴女のような可憐な方にこそあるべきものです。よろしければ受けとっていただけませんか?」
すらりとした長身に長い金髪の男が、ベージュのエプロン姿で小さなブーケとティッシュを優雅に差しだしているのが見える。
目にするなりげんなりしているその前で、金髪の男が屈み込んだまま黒い瞳で女性の顔を覗き込んでいた。
見るからに固まっている女性は遠目から見ても赤らんでいて、男の容姿に見とれているのは明らかである。
現に歩道を行く人々も、彼の姿を認めては皆一様に振り返っていた。
「裕紀のヤツ。たかが店の宣伝に何を言ってんだか」
あれで本人に少しも口説いている自覚がないのだから始末に置けない。
痛むこめかみを押さえ近づこうと一歩踏みだした時、呆然と裕紀を見つめていた女性がブーケとティッシュを受けとった。